相変わらずクーラーのパワーソースとなっている我らが2Uエンジンですが、このRU19コースターに至ってはその最初からフルフローエンジン装備となっています。ブローバイガスのセパレーターもついてエミッション対策も当時としては万全です。暫くすると工作精度の上がった「浮き彫り2U」のクランクケースも使われ始めています。
サブエンジンだった2Uというとこのフルフローという印象が強いのは、この頃、クーラー付きのコースターが以前よりも多く出回ったことを物語るのかもしれません。冷房がより一般的になったということなのでしょう。ただし「フルフローエンジン小史」で筆者が述べている最終進化型のフルフローエンジンとは決定的に違うところが一点だけあります。それはダイヤフラム式のクラッチカバーを装備しているサブエンジンは、ないというところです。ダイヤフラム式のクラツチカバーはミニエースに於いて圧着力を増すために装備されたものであると述べました。一方、コースターのサブエンジンとなった2Uにおいての出力はいいところ12馬力前後、あえて圧着力を増さなくても大丈夫な出力です。ですから、サブエンジンとなったフルフローエンジンには最後までレバー式のクラツチカバーがついています。
RU19となってもバス旅行がいっそう楽しくなるという冷蔵庫は健在。
昭和46年12月、UP30パブリカの生産終了を持って乗用車搭載の歴史が終わり、昭和50年11月にミニエースの生産が終了して走行用の動力として使われることは無くなっても尚生き続けた我らが空冷2気筒エンジンですが、ついにその終焉の時を迎えました。
昭和52年6月、RU19コースターは生産を終了。次のRB11系のコースターはサブエンジン式のクーラーユニットを廃止しています。筆者が確認している限りでは71万番台のエンジンナンバーを持つエンジンが存在し、その多くはコースターのサブエンジンとして生き続けたエンジンです。エンジンナンバーはU型の昔から続きの番号となっていますから、誕生から71万基以上、フルフローとなってから数えても実に10万基近くのエンジンが生み出されています。乗用車のエンジンとして使われた期間が10年と5ヶ月、クーラー用サブエンジンとして使われた期間が実に12年。700ccから始まって800ccのフルフローまで、本家パブリカを凌ぐ活躍ぶりです。これでお分かりでしょう、乗用車に使われなくなったから使われたのではなく、これはこれで立派に歴史を持っていることを。
そこかしこで行われている旧車のミーティング、その中ではパブリカ、スポーツ800あたりは定番で、必ず一台はいるでしょう。
ふとエンジンルームに目をやると、フルフローエンジンが搭載されていたりします。これらの中にはきっとコースターのリアに納まっていたエンジンもあるのでしょうね。
終わり